小樽~三毛別~宗谷 457km 曇りのち晴れ 宗谷ふれあい公園キャンプ場
4時30分、定刻通り小樽港着。来たぜ北海道。
天気予報では道北に晴れマーク。迷わず北に向けて走りだす。ホッカイドウタイムスタート。
走り出しは曇り、あたり一面真っ白な霧。そしてとにかく寒い。革ジャンでよかった。半袖Tシャツじゃ寒くて中にロンT着て、それでもトンネルなんかは寒くてインナーダウンを重ね着した。
次第に陽が高くなってきて、海沿いのR231に乗るころにはどんどん気温上昇。あっつー!じゃんじゃん脱いでいく。
北に向かうなら、行きたい場所があった。「三毛別」
少しダートを走る必要もあるし少々マニアックな場所なので、何かのついでに寄るというでもないのだが、見ておきたかった。
「三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)」の復元現場がそこにはある。
この事件は大正4年に起きた、死者7名重傷者3名を出した過去最大の獣害といわれた事件。ご興味のある向きはWikipediaをどうぞ。
僕はもう少し詳しく書かれたあるテキストを読んで、行ってみたいと思った。とんでもない長文のうえ難解な部分もあるので、テキストのご紹介はまたいずれ。
増毛を過ぎ、留萌を過ぎ、苫前の手前で道道1062へ。そこから道道1049を戻るように南下すると三溪神社が見える。
ここはかつての三毛別村長であった大川与三吉の息子、大川春義が自費建立した「熊害慰霊碑」がある。
道端にバイクを停めてエンジンを切ると、一瞬の静寂と蝉の鳴き声。照りつける日差し。かつてこの辺りで起こった、甚大な羆の被害を想像する。思わず草むらに目を凝らす。慰霊碑の名前を目でなぞり一礼して手を合わせた。
さらに進むと「射止橋(うちどめばし)」
最終的にこの場所で、山本兵吉の手による銃で羆は討ち取られた。だから射止橋。
上流へ向けて撃ったのか、はたまた下流なのか。
現場近くは砂利のフラットダートになって、150メートルほどトコトコ進むと到着。
これが実物サイズなら、到底抵抗の余地はないと思える羆の造りもの。
これが囲炉裏の向こうから藁葺きの壁をぶち抜いて、なだれ込んできては次々と人を襲い喰った。映画の世界としか思えない。
食いしん坊万歳の梅宮辰夫なら、仁義なき戦い風に眉根を寄せて「吐いた唾飲まんとけや」くらいのタンカを切るかもしれないが、これは現実に起こった出来事だ。まったくもって恐ろしい。
ひととおり震え上がったところで腹が減った。
先に進んでめし屋を探す。すでにオロロンラインには乗っていて、あらためて地図を見るとこの先は稚内まで何もない。羽幌町まで少し引き返して「北のにしん屋さん」で食事。
甘エビ丼(1,100円)が有名なお店らしいのだが、海鮮をいろいろ食べたくて羽幌丼(1,200円)をオーダー。雲丹、牡丹エビ、甘エビ、イカ、タコ、いくら、白身魚などがのっていてなかなか美味。米、もうちょっと盛ってください。
直売所も併設していて、エイヒレが250円と安かったので夜のつまみにと思ったが、チリだかタイだか外国産だったのでやめた。ここまで来たらやっぱ地のもの食いたいですよね。
腹も満たされて、更に北上。
途中気になる脇道散策なんかもしながら、恒例の最北端を目指す。
オロロンからのオトンルイ風車。
今日も綺麗に利尻が見える。
北緯45度モニュメント。
どこまでも続く直線。
ひゃっはー!北海道来たなぁ!
ノシャップ岬は写真だけ。
北防波堤ドームを見てから、離島へのフェリー乗り場を視察する。
利尻富士を見ながら、明日の天気を勘案していた。
予報によれば明日は道北意外は雨らしい。今まさに北にいる僕は、明日どっちへ向かうべきか。ぼーっと島を見ていたらピンと閃く。
「そうだ、離島行こう」ちゃらら、ららら、ちゃららら~♪
というわけで、フェリー乗り場で情報収集。
島へ渡るなら、利尻島か礼文島。インスピレーションで礼文島に決める。当日券しか買えないらしく、朝5時30分から受付、6時20分出航。てことは3時30分くらいには起きて素早く撤収しなくては。
「稚内森林公園キャンプ場」がフェリー乗り場からほど近いうえに無料なんだけど、なるべく行ってないキャンプ場に泊まりたくて、15キロ離れた「宗谷ふれあい公園キャンプ場」に。
整ってて綺麗なキャンプ場。シャワー無料だしこれで500円。
明朝4時30分頃出ます宣言しちゃったけど、はたして起きられるのか?
夜は恒例のセイコマジンギスカンにもやしブースト。
新しいプリムスのストーブで米を初炊きしたら大失敗・・・
超絶ハイカロリーと横風に火加減掴めず。慣れが必要だわ。わしわし食うけど。この旅終わる頃には上手く炊けるようになりたい。
初日からかなり走った。無理したつもりは全然無くて、気がついたら400kmを軽く超えてた。心地よい疲労感。こうして初日の夜は更けていった。