酒の師匠

かつての職場の先輩が、博多から来京。

上野アメ横の猥雑な台湾料理屋で、昼間から青島ビールをあおる。
仮に名前を「萬宝軒」とでもしとこうか。2階からアメ横の喧騒が見下ろせるこの店に、僕がアテンドした。近年のアメ横は外国人観光客が増えて、ことさら東南アジアのような風情がある。

「お前、この歳になってアメ横はきついよ。まったくのお上りさんだ」
愚痴りながらもどこか楽しそうに先輩がいう。
「どうせこっちに来て寿司とか鰻とか、良いもんばかり食ってるんでしょ。いいじゃないですか、たまにはこういうのも」
「まあな」

御歳67才になるという先輩は僕より20も年上だけど、どういうわけか昔から馬があって良く遊んでもらっていた。生まれは鹿児島。35年間東京で会社勤めをしたが、諸般の事情で退職し、奥様と九州へ移り住んだ。

彼はいわゆる体育会系の先輩で、上下関係に厳しく、豪傑でわがままで、女好きで、敵が多く、今ならコンプライアンス的にもハラスメント的にも危うい、それでいて憎めない男だった。何より遊び方が粋で、その姿にどこか魅力を感じていたのかもしれない。僕の酒の師匠だと勝手に思っていた。
オーセンティックなBARで葉巻を教わったのもこの人だし、良い居酒屋のウンだのチクだのを教えてくれたのも、新宿ゴールデン街を教えてくれたのもこの人だった。釣りや焼き物、アートや音楽、自転車から料理までとかく趣味の造詣も深かった。

 

「なに食います?」
「なんでも良いけどな。最近はあんまり量は食えないよ」
「そうなの?つまみ、適当で良いすか」

中国人のママを呼んで、まずはビールのお代わりを頼む。

「魯肉飯ある?」と先輩。
「メシじゃないですか」
「台湾料理ったら魯肉飯だろ」

「魯肉飯ナイネ」とママ。
「無いんかい」

「じゃあ、腸詰めと排骨と、青菜炒めはなにがあるの?」
「豆苗か空芯菜ネ」
「じゃあ空芯菜だな、あと小籠包ね」

お通しの落花生をぽりぽりと口に運びながら、たわいもない話で盛り上がる。かつて一緒に北海道をツーリングしたこと。新宿や銀座でべろべろになったこと。仲間のひとりがうつ病になったこと。仲間のカミさんが亡くなったこと。仕事を引退したこと。ラグビーワールドカップ。九州の醤油と赤身のこと。やきとんについて。などなど。しょーもない話。

「どうします?まだビール?」
「紹興酒もらおうか。あったかくして」

徳利に入った紹興酒をお互いのグラスに注いで、喉に流し込む。芳醇で懐かしい香りが鼻に抜ける。かつて中華街の「ふくろう」という小さな店でよく飲んだ。あの店はまだあるのだろうか。

 

「今回来たのは同窓会でしたっけ?」
「そうそう、同級生が全国に散らばってるからいろんなとこでやんの。今回は東京ってわけ」
「奥さんは?家にいるんですか?」
「いるよ。うん、いると思うな。たぶんね」
「一人でフラフラしてて大丈夫なの?」
「お前な、もう67にもなりゃお互いのことなんてどうこう言わないものよ」
「そういうもんかね」
「そうよ。だいたい女房なんかさ、もともと東京だから1ヶ月もこっちに居る時あるよ」
「それはそれで悠々自適?」
「悠々じゃないけどな、悪くはないよ」

徳利が空いて紹興酒のお代わりをもらう。

「まあ女房も変なことはしないと思うしな。心配はないかな」
「変なってなによ。浮気とか?」
「まあないけどな。しかしあれだよな、恋はしたいよな。くくく。」

 

このあたりがパイセンの侮れないところである。67歳の口からよもや恋が語られるとは思ってない。

「はぁ?まだそんなこと言ってんすか」
「いや、なんかしたいとかじゃないよ。でもさ、そういう気持ちがなくなったらつまらんだろうよ」
「誰か、気になる人とかいるんすか」
「いっぱいいるよ」
「またそんなこと言うて」
「だって女性はさ、やわらかいじゃんか。くくく」
「くくくじゃないよ」

やれやれという感じで聞いてはいたけれど、この生きるエネルギーに僕は感心するのである。あるいは、たんに飲みすぎているだけかもしれないが。

「何時の便でしたっけ、飛行機?」
「ああ、うん、5時だな。ぼちぼち行くよ」

気がつけば随分長い時間飲んでいた。

「この店、萬宝軒、良かったよ。博多にも遊びに来いよ。面白いとこ連れてくから」
「良いすね、その時はぜひ」

JR御徒町の改札を千鳥足でいく先輩の背中を見送りながら、僕は後輩たちになにかを伝えられているか考えた。いや、「こんなの今どき流行んないでしょ」と独り言ちた。

 

 

 

 

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