ブロンコ先生


ブロンコ先生は今日も雨雲と共に走り去った。僕が毎朝、通勤途中に出会う人たちの中には、「おかわりくん」や「パタパタちゃん」「ダンディさん」などがいる。もちろん僕が勝手に名づけている。名づけてはいるが話したことはない。毎朝すれ違う、顔なじみの面々。失礼だなとも思うが、ひょっとしたら僕も彼らに名づけられてるかもしれない。その中に僕が親しみを込めて呼ぶ「ブロンコ先生」がいる。銀色のブロンコに乗った彼は、少し年季の入ったジェットヘルメットを被り、毎朝後方から僕を追い抜いて行く。僕は駅まで歩いているんだな。駅に向かう大多数の人の群れと同じように、いつも急ぎ足で。

はじめにことわっておくけど、ブロンコ先生に何ひとつ特別なことはない。彼は毎朝、春夏秋冬、雨の降る日はカッパを着て、凍える日にはN3-Bとオーバーパンツを履いて、ブロンコに乗って職場に向かう。それはあくまで日常的にくり返される光景で、特に真新しくもなければ、ドラマティックなことも起こらない。そもそも日常とは、そういうものだからね。後方から軽い排気音が聞こえると、あ、今日も来たなと思う。

言い忘れていたけれど、ブロンコとはヤマハの単気筒225ccのオートバイで、スクランブラースタイルの、セロー225の兄弟車である。ブロンコというオートバイについて僕はあまり詳しくなかったんだけど、往年のヤマハDT-1やXTを持ち出すまでもなく、無駄なものがないシンプルで美しいバイクだなと思った。それに排気音がセローと同じものだから、ついつい通り過ぎる背中を目で追っていた。

 雨が降ってもブロンコ先生に迷いはない。カッパを着て、マンションの駐輪場からブロンコを出す。おもむろにキックを踏み下ろす。何度も雨に濡れたブロンコ先生を見た。いわば、働く車である。毎日乗っているからブロンコの調子は手に取るようにわかる。あちこちサビや傷みも目立ってきたが、それは日常の積み重ねからしか生まれない、実用車としてのヤレだ。ようするに、金をかけるだけでは得られない、走ることでしかまとえない雰囲気を、ブロンコ先生は持っていた。

毎日毎日、少しずつ変わる季節のうつろいを感じ、雨の匂いを嗅ぎ、風を受けて走る。僕はブロンコ先生の、普通である格好良さにシビれる。普通であることの格好良さを、ブロンコ先生は深く理解しているのかもしれない。でもおそらくは、単なる日常の風景だろうと思う。それは特別ではない特別さ、くり返される日常の愛おしさ。通り過ぎるブロンコ先生の背中を見送りながら、今日も僕は駅へと急ぐ。

 

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