父と珈琲の思い出

先日、年始の顔出しに里帰り。77歳になった父は少し身体も弱ってきたけれど、今でも珈琲が好きだ。その影響を僕も多分に受けている。実家に帰るたびに父は「珈琲飲むか?」と言って、コーヒーメーカーで淹れてくれる。それが、息子に対する自分の役回りであるかのように。

子供の頃、家族4人でホンダのシビックに乗って、忠実屋という大型スーパーに行くのが楽しみだった。父がハンドルを握り、僕は助手席、母と姉が後部座席に座った。母と姉が食料品とか日曜雑貨を買っている間、僕と父はおもちゃ売り場を見て回った。まだ幼なかった僕は、超合金や変身ベルトをキラキラした目で見ていた。

ねだっても買って貰えないことがわかっていたし、あまり買ってとも言わない子供だったが、一度だけ駄々を捏ねて親を困らせた。変型するロボットだったように思う。おもちゃというものは手に入れたとたん不思議なほど飽きてしまうもので、両親からもその点を鋭く指摘されたが、これは変型するのだから飽きるはずがないというのが僕の精一杯の主張だった。
わが家は特に裕福ではなかったが、その時は誕生日が近かったこともあり、子の必死な訴えに親が折れて買ってもらうことに成功した。はじめこそ喜び勇んで遊んでいたものの、やはり2週間もすると飽きてしまったのだが、そんな素ぶりは見せず夢中なフリをした。

おもちゃ売場を見回した後は、一階の食堂で母と待ち合わせるのが決まりだった。今でいうフードコートだ。そこのソフトクリームを買ってもらうのが楽しみで「100円なのにここのソフトは大きいよね~」というセリフは毎回母の口から発せられた。それを聞くと僕はすごく得したような気分になった。母はコーンの部分が好きで何口かかじった。
そこで父は決まって、「ちょっと珈琲飲んでくる~」と言ってふらふらと何処かへ行ってしまうのだ。子供心に僕は、いつも父は何処に行くのか不思議だった。

ある時「ちょっと珈琲飲んでくる~」とふらふら行った父の後を追った。今思えば別にどうということはない。フードコートの一番奥隅にある喫茶店のカウンターで、父は言葉どおり珈琲を飲んだ。100円とか150円とか、そんなもんだろうと思う。
スターバックスなどまだなかった時代、父はいっとき家族から離れカップを傾けた。それは父だけの時間であり、まだ30代と若かった父が珈琲を飲み終える間、何かを想ったり考えたりしたのではないか。家族のことかもしれないし自分のこれからについてかもしれない。あるいは旧い友人の名前を思い出してたのかもしれないし、単に珈琲が好きだっただけかもしれない。

コーヒーを飲み終えると父はまた家族のもとに戻り、シビックのハンドルを握った。
今度父に会ったら聞いてみたいのは、あの時のコーヒーの味についてである。

 

 

 

1件のコメント

  1. なるほど!以前キャンプツーリングの朝にnovotelさんが下ろしてくれたコーヒーの美味しさはお父様譲りのものだったんですね^^

    こういう何気ないエピソードに家族の絆を感じますね。

    • nmindさん

      お恥ずかしい限りです。コーヒーはちっとも詳しくはないんですが、なんだか郷愁のようなものをずっと感じておりまして。ふと父親の影響もあるのかとコーヒーを淹れる彼を見たら思いまして、このような駄文をしたためた次第。スルーしてくださいませ(笑)。コメントありがとうございます。

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