ギラギラタクシー

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夕暮れの帰り道に、奥さんがこんな話をした。
以前、仕事帰りにくたくたに疲れ果てて、乗り込んだタクシーの運転手に「ギラギラした眩しいところを走らないで欲しい」と頼んだそうだ。指示した道は、裏道のそのまた裏道みたいな路地ばかり。しまいには運転手に愚痴られたという。

興味深い話だなと思った。
無駄な料金の増加や愚痴った運転手の心情についてはひとまず置いておくことにして、まず疲れてるからギラギラしたところを通るなというその発想が、僕にはなかった。大変興味深い。自分だったらどうだろうかと想像してみる。

パカッパカッとハザードランプを点けて、タクシーが停まる。ようやく帰れるのだという安堵の時である。後部座席にどっかりと腰掛けて、行き先を告げる。もはやシートに沈み込みそうなほど、僕は疲れ果てていた。

「飲み会ですか?」
「いやぁ、それなら良かったけどね。仕事ですわ」
「それはそれは。じゃあ、帰ってから晩酌ですね」
「そうかな、どうだろね。とにかく疲れてね」

家に酒はあっただろうか、と薄く考えて窓の外に目を向ける。車は繁華街に入り、やがて賑やかな駅前を通過すると、街の明かりが次々と顔を撫でていった。

「ちょっと、疲れててね」
「ええ」
「眩しいところを、走らないでほしいんだ」
「はぁ。え?」
「だから、裏道を通ってほしいんですよ。なるべく暗い道をね」
「そりゃまた、どうしてです?」
「どうしてって、疲れてるからじゃないですか。眩しいでしょ」
「はぁ、でも。随分回り道になりますよ」
「構わないよ、それで」

少し戸惑いながらも運転手は左にウインカーを出し、細く暗い路地を進んだ。対向車一台がすれ違えるかどうかという道幅で、ぽつりぽつりと街頭の明かりだけが等間隔に目の端を過ぎる。ああこれだ、路地だ。落ち着くじゃないか。やはり暮れなずむ裏路地で、いちにちの終わりを慈しむように閉じるべきなのだ。

分からないでもない。

いや待てよ。むしろ、街の明かりを僅かばかり残った活力の着火剤にとは考えられないだろうか。繁華街の賑やかさが、疲れて乾いた心に潤いを注ぐかもしれない。注がないかもしれない。そうだとしても、ちょっと気になった中華飯店でもあれば、そこでタクシーを降りて一杯やったって良い。なにしろ僕は疲れているんだ、きっと腹も空かせてる。

うーんと唸って僕は考えるのをやめた。どちらもぴんとこない。
疲れた時の街の眩しさが、自分の目にどう映るのか、僕は知らなかった。

 

以前からオートバイの話にこじつけて、関係ないことも書いてきたのだが、今回は接点すらありません。すみません。

 

 

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